ご訪問、ありがとうございます。Platz(プラッツ)です。
誕生日 6月15日
星座 双子座
血液型 AB型
利き手 両利き
身長 184cm(小さな頃から大きかった)
体重 74kg(ここ数年で一気に太りました)
足のサイズ 28.5cm(気に入った靴が買えません!)
出身地 東京都品川区
星座や血液型や利き手などから二重人格を疑われますが、裏表のないハッキリした性格と思っています。
念の為……。
Platzとは
Platz(プラッツ)とは、ドイツ語で「広場」という意味です。
たくさんの人がここをきっかけにに集まり、新しい出会いの場になればと思い、名付けました。
語感も良かったですし……。
ブログを始める数年前にTwitterのアカウントを取って始めてたのが、我ながら先見の明があったのではないかと……。
趣味
音楽
ギター、ベース、キーボード、作詞・作曲・編曲。
楽器を演奏するのが好きで、いつかドラムも始めたいと思っています。
ちなみにこのギターのイラストは、愛器の一つ「Tacoma C1C」をIllustratorで作ったものです。
スクーター
時間がある時は、愛車ヤマハビーノに乗って、あちこちに出かけています。
2022年の5月には、自宅の神奈川県平塚市から弟夫婦が住んでいる愛知県春日井市まで、3泊4日で往復してきました。
約700kmの旅は大変な事もありましたが、メチャクチャ楽しかったです!
ホビー
プラモデルや編みぐるみやオリジナルTシャツなど、モノを作るのも大好きです。
オリジナルTシャツは、こちらのページでご覧ください。
スポーツ
基本的にはスポーツは下手くそなのですが、ジョギング、水泳、筋トレなどをやっていた事もありました。
ホノルルマラソンや湘南国際マラソンにも参加しました。
ちなみに高校時代は弓道部に所属。
一応、二段をもっています。
座右の銘
人間万事塞翁が馬
国境の近くにあった塞(とりで)の近くに住んでいた翁(老人)は、何よりも自分の馬をかわいがっていた。その馬は、周りからも評判が立つほどの駿馬だったが、ある日突然、蜂に刺された拍子に飛び出してしまう。一向に帰ってこない馬の様子に、周りからは翁に同情するほどだったが、翁は「これがきっかけで何かいいことが起こるかも知れない」とだけ言って、我慢強く待ち続けた。すると、どうだろうか。しばらくして、その馬が別の白い馬を連れ帰ってきたのだ。しかも、その白馬も負けず劣らずの優駿で、周りの者は口々に何と幸運なことかと囃し立てたが、翁は「これがきっかけで、別の悪いことが起こるかもしれない」と自分を戒め、決して喜ばなかった。
塞翁が馬– Wikipedhia
それから、かわいがっていた息子がその白馬から落ちて、片足を挫いてしまった。周りはまた同じように慰めの言葉を掛けたが、翁はまた同様に「いいことの前兆かも知れない」と告げる。それからしばらくして、隣国との戦争が勃発した。若い男は皆、戦争に駆り出されて戦死した。しかし息子は怪我していたため、徴兵されず命拾いした。そして、戦争も終わり、翁は息子たちと一緒に末永く幸せに暮らしたという 。
このことから、人間、良いこともあれば悪いこともあるというたとえとなり、だから、あまり不幸にくよくよするな、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉になり、人間万事塞翁が馬などと使われる。
生い立ち
それでは、僕の生い立ちを簡単に紹介しようと思います。
誕生から学生時代
東京都品川区で産湯を浸かい、4歳で神奈川県秦野市に転居。
団地住まいだったので周りには友達もたくさんいて、10年間のほほんと過ごしていました。
ところが中学2年の時に両親の離婚により平塚市に転居。
当時、校内暴力の一番盛んな中学校に転校。
これが最初の挫折。
しかし、持ち前の明るさでグレることも登校拒否になることもなく、何とかやり過ごしました。
ギターをきちんと弾き始めたのも、この頃だったと思います。
荒波に飲まれながらもしっかり勉強をして、大磯の高校に進学。
弓道部と軽音楽部の兼任で調子に乗って天狗になり、多少の嫌がらせも受けながらも、楽しく過ごしました。
オリジナル曲を書き始めたのも、この頃ですね。
その後、浪人になる同級生を尻目に、現役で横浜の大学に進学。
ところがバンド活動にうつつを抜かして、大学の同級生の卒業を見送りながら5年で卒業。
これが2度目の挫折。
フリーター時代
卒業後は、まだ日本も景気が良かったにも関わらず音楽活動に専念するという言い訳をしながら、就職もせず一人暮らしをして、およそ5年間のフリーター生活。
ライブや曲作りや友人たちとの馬鹿騒ぎの毎日を過ごし某コンテストで準優勝するも、バンドは解散、個人で受けたオーディションにも落ちまくり。
しっかりと社会人をやっている友人を横目に見ながら、悪夢にうなされる日々が続きました。
これが3度めの挫折。
ここには書ききれないくらいの、濃厚で楽しくも辛い5年間を過ごしました。
広告代理店時代
さすがに20代も終わりに近づき、このままではいかん!と就職活動を始める。
面接はことごとく合格。
人生チョロいなとうぬぼれて、よりによって広告代理店という聞こえがイイだけの、社員数10人にも満たない一番小さな会社に就職。
営業職を勤めながら、「デザインの仕事がやりたい!」と社長に直談判すると、「じゃあ昼は営業、夜はデザインをやれ」と無茶な返答をもらう。
通常業務に加え、地元タウン紙の企画、営業、取材、撮影、コピーライト、デザインをすべて任され、月に数日も会社に泊まり込み、必死に働く。
しかし、数ヶ月もすると給料が滞り始め、額も減少。
3年と待たずにとうとう倒産。
これが4度目の挫折。
ま、いい経験と勉強をさせてもらったと前向きに考えることにしました。
最初の印刷会社時代
捨てる神あれば拾う神あり、という事で、世話になっていた知り合いのデザイナーさんに、印刷会社を紹介してもらい、デザイナーとして勤めることになりました。
そこで嫁さんと知り合うことになり、半年後に結婚。
その1年後に娘も生まれ、さらに半年後にマイホームを購入。
人生、何があるかわかりませんねぇ。
まさに、「人生万事塞翁が馬」ですな。
そのまま順調な人生を送るかと思いましたが、その頃世の中は不景気の嵐。
10年以上勤めた印刷会社でリストラにあい解雇されました。
これが5度目の挫折です。
嫁さんと娘を抱えて途方に暮れていました。
最初のフリーランス時代
その折、会社経営をしている昔からの友人に声をかけられ、新しい事業の手伝いをしてほしいと言われ、一念発起してフリーランスのデザイナーとして仕事を開始。
チラシやパンフレットなどの仕事をしながら、ホームページの制作なども始めました。
慣れないWEBの仕事を四苦八苦しながら覚え、少しずつ軌道に乗り始めたのも束の間、多くの仕事を頂いていたメインの会社がその事業から撤退するという知らせ。
(以下、執筆中)